エレトップ・カツキ

エレトップ・カツキ:勝木正章さん


福吉のおすすめ

真名子木の香ランドに行く途中にある福寿台の桜
小学校の遠足で行った思い出の場所です。

取材日:2021年3月14日

お客さんの8割は福吉の人、電気屋を超えた井戸端空間。

「正面はスーパー、隣は文具店と酒屋さんで、そこの角は食堂だったね」1987年(昭和62年)にエレトップ・カツキがオープンした頃、JR福吉駅前にはさまざまな店が立ち並びにぎわっていました。時代の移り変わりと共に更地が増え、今は「幸か不幸か」福吉駅から、福吉小学校の横に佇むエレトップ・カツキの赤い看板が目を引きます。お店が減って寂しくはなりましたが、地域に根ざし、暮らしの困りごとに寄り添う街の電気屋エレトップ・カツキと、店を取り巻く温かな地域コミュニティは健在です。

登下校時には小学生が前を通り元気に挨拶をしてくれる

店主である勝木正憲さんが、脱サラし最初に始めたのは魚屋でした。電気メーカーに勤め、アマチュア無線をやるなど昔から電気分野が好きだった正憲さん。早朝水揚げされた魚を買付け、生きのいいうちに売ってしまうと、昼からは近所の電気屋を手伝うのが日課でした。そのうち、電気屋を継がないかと誘われエレトップ・カツキとして新たなスタートを切りました。

「何も分からず始めた頃から、地域の人にかわいがってもらえて、本当に地域の方々に育てられました」。初代と共に店の基盤を創り上げてきた妻の益子さんは、柔らかな表情で振り返ります。ふらりと寄ってお茶を飲んでいくご近所さんたちに、漬物の漬け方、野菜の種まきの時期、何でも教えてもらう日々でした。「今では私も暮らしの知恵を伝える側になっていますね」と笑います。

ご近所さんからの頂きものが店内を彩る

息子の正章さんは、福岡市でサラリーマンをしていましたが、20代半ばで転職を考えた際、地元に戻り店を継ぐことを決心しました。父を助け、少しでも楽をさせてあげたいという思いがあったものの、一軒一軒チラシを配る姿勢一つとっても叱られてばかり。かえって負担をかけているのではないかと悩んだ時期もありましたが、今では「父にはもっぱら孫守りをお願いしています」と言えるほどになりました。

寒風吹きすさぶ空地で孫のスキップ練習をにこにこと見守る正憲さん

正章さんが初めて冷蔵庫を買ってもらったお客さんが、数年前、冷蔵庫の買い替えのため店を訪れました。またエレトップ・カツキを選んでもらえ、ご縁が続く喜びはひとしおでした。

会計の合間も和気あいあいと会話が弾む

電球の買い替えに来たご近所さんに、正章さんが数ある電球の中からぴったりのものを差し出すと、「そうそう、最近テレビが映らんのやけど」と立ち話が始まります。

「E202のエラー案内が出てない?」

「そうそう!それが出てる」

「アンテナやね…アンテナケーブルがとれてるんやない?」

正章さんが一つ一つ様子を確認し、故障の原因に目星をつけます。後で訪問する約束をし、新しい電球を持って帰っていくご近所さんの姿に、「お医者さんと一緒で最初の10分は問診です」と正章さんはほほ笑みます。お客さんの8割は福吉校区なので、連絡があれば日曜祝日でも飛び出していきます。電化製品なしでは成り立たない現代の生活において、気兼ねなくいつでも相談ができる電気屋さんは心強い存在です。

販売だけではなく、取り付け工事や修理の依頼も多い

1年前から一緒にお店に立つ正章さんの妻めぐみさんは博多区出身です。福吉では、お店でも病院でも知らない地元の人に「エレトップ・カツキさんとこのお嫁さんね」と声をかけられることに驚く日々です。結婚前、初めて福吉へ来た時、福吉ののどかさに驚いた思い出があります。少し早めに駅に着いためぐみさんが時間をつぶすため「駅前だからスタバとか何かあるでしょ?」と連絡、「スタバ?砂場?砂浜??」と慌てた正章さんとのやり取りは今でも笑い種となっています。

気軽にお茶を飲みながら、暮らしの困りごとに寄り添う電気屋さんが福吉駅前で今日ものどかに営業中です。

孫の正治君もそろって3世代でお迎え
いつもご近所さんがお裾分けを持って顔を出してくれるが、今はコロナでお茶をだせないのが本当に申し訳ないと益子さん