地域の人たちと互いに協力し合いながら畜産業を福吉のために残していきたい
国道202号バイパス吉井ICから山の手に少し行くと宮﨑牧場があります。牧場の裏は雑木林で、周りは田畑と山々が見渡せる自然豊かで空気がおいしい場所です。
宮﨑悟さんは、宮﨑牧場の3代目。妻の弘子さんと共に畜産業を始めて20年になります。大学卒業後、北九州で会社員として4年間、畜産とは関係のない商社の仕事をしていましたが、弘子さんの妊娠をきっかけに「子どもを育てるなら福吉しか考えられない」と、福吉に戻り家業を継いだそうです。
自然豊かな緑に囲まれた牛舎
宮﨑牧場には現在80頭弱のホルスタインがいます。そのうちの約半分が経産牛で乳を搾っている牛です。残りの半数は子牛と育成牛で、牛が成長して分娩し、乳が搾れるようになるまでに24ヶ月かかるそうです。宮﨑牧場で飼育されている牛の平均寿命は約5年で、分娩回数は3回ほど。長生きした牛は11歳で9回分娩したのだとか。驚いたのは、人工で種付けする際に、冷凍の雌雄(シユウ)判別精液を使用するのですが、98%の高確率で雌の子牛が生まれること。そういうわけで牧場の牛たちは全頭雌牛です。
タイストールという、つなぎ牛舎で飼育されている雌牛たち
牛たちが健康で丈夫に育つように、良質の牛乳が生産できるように、毎日の牛の世話と健康管理は欠かせません。特に気を付けているのは牛の餌。1頭が1日に食べる牧草の量は約40kgです。栄養面も考えて、さまざまな種類の牧草を与えています。海外から輸入するオーツ(麦)やスーダングラス(稲)、ルーサン(マメ科)、福吉の畑で自給するイタリアンライグラス(麦)、WCS(稲)など、およそ輸入70% 自給30%の割合です。
悟さんは、自給飼料を作るため、近隣の農家に堆肥を分ける代わりに、冬の間使用しない田んぼを借りています。冬は主にイタリアンライグラス(麦)を作ります。畜産農家と農家がお互いに助け合って、どちらにも有益な循環型の畜産を地域に根付かせたいと思っています。
牛舎の清掃後、良い香りがする干し草を牛たちに与える悟さん
大きな体と長い尻尾の間から搾乳前の大きなお乳。
20年前と比べて半数に減少している糸島の畜産農家。現在の戸数は30戸弱で、そのうち福吉には4戸の畜産農家がありますが、お互いが常に情報を共有し、困った時は助け合って、共に良くなろうとします。悟さんは、畜産業を始めた頃、酪農業協同組合の組合長が言った一言が今でも忘れられません。「酪農は足の引っ張り合いをしなくて済む。みんなでいい情報を共有して、みんなで発展していけるとても良い仕事だ」。今はその言葉の意味がよく分かると言います。
「地域に畜産は絶対必要。畜産農家が減ったら農家も困る。畜産農家と農家は協力してやっていく必要があるし、地域の生産者同士のつながりと地域の中で生産物が循環していく仕組みづくりが大切」と悟さんは真剣に語ってくれました。
子牛にミルクをあげる弘子さん。ミルクを待ちきれないもう一頭が弘子さんの指をなめている。
宮﨑さん夫婦には4人の子どもがいます。「子どもたちが牧場に少しでも関わって、自分たちでは手が回らなかった6次産業の分野を何らかの形で実現させてくれたらうれしい」と優しい母の顔で話す弘子さん。「将来、誰が牧場を継ぐか、今はまだ分からないけれど、子どもたちが継がなかったとしても、牧場は地域のために残したい」と話します。
また、10年くらい前から、地域の小中学校で食育の講演などを行っており、小学生が牧場に来て体験学習をすることもあります。そのおかげか、子どもたちの畜産業に対する理解が深まり、畜産のイメージが良くなっているのを肌で感じると言います。悟さんは将来、地域の子どもたちが地元に残って仕事ができるような牧場づくりができたらと考えています。
まだ鼻輪がついていない愛くるしい子牛(生後1ヶ月くらい)
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洗濯物を干しながら蛍を眺めたり、道を歩けば野生の動物に出会ったり、町に住む人の非日常が日常にあるのが福吉の暮らし。福吉の人の温もりに感謝する日々です。
福吉のおすすめ
十坊山の登山道入口にある立て看板。小学生の末娘が福吉のおすすめスポットを絵で描き、祖父と手作りしたもので、観光客の道標になっています。
【取材日】2022年2月23日